「ジェンダーはただの記号である」

 今日は情報検索でとてもかなしいブログを見つけました。

 かなり古いブログだったので、最後の更新から約7年経っていました。

 その人は今幸せに生きているのだろうか、と思いながら、幸せであってほしいと願っています。

 そして私も、自分の生きていた痕跡を残すために、ブログを書き始めたいと思います。だって、いつまで生きていられるか、本当にわからないからです。

 

 大学3年の秋冬は就活の時期です。早い人は夏からインターンをガンガン募集していたが、私は何も始まっていません。

 私は自分の性別が大嫌いです。男として就活するなら死んだ方がマシだ、と思っています。しかし、いまの体は全く女として通じてなくて、就活を逃げるために大学院に行こうと思いました。

 が、肝心の勉強したいものがないのです。私にとって女の子として生きられない限り、何をやっても意味がないんです。なぜそう思うかは私にもわかりません。「障害」だろうかそうじゃないだろうか、とにかく一般の男のように振る舞うことができないし、男として扱いされるだけで苦痛です。

 たとえ大学院に行くとしても、女として入学しなければ意味がないです。

 

 今はLGBTがブームになって流行っていたが、それは個性として、アイデンティティとして、あるいは「普通」として唱えられています。ゲイやレズビアンバイセクシュアルにはおそらく通用するでしょう。一部の「ジェンダーの境目をなくしたい」トランスジェンダーにも通用しているでしょう。でも私は全くジェンダーの境目をなくそうなんて考えていません。そもそも自分はトランスジェンダーとして名乗ったことがないし、できる限りMtFなどの「業界用語」と離れるようにしてきました。私はただ一般の女の子でいたいし、周りから女の子に扱ってもらいたいです。

 「女の子」を個性として謳う女の子はいません。「女の子」はアイデンティティにもなりません。

 私の体も所詮男性ホルモンには勝てませんでした。声変わりを経験し、髭が生え始め、肩幅がどんどん広くなり、顔もいつの間に縦長くなりました。一方、生理は一度も来たことがないし、そんな女の子は決して「普通」とは言えないです。

 

 どこからどう見ても、男にしか見えませんでした。

 

 やっと耐えられる限界が来てしまい、毎日いろんな自殺方法を考えた末に、楽な死に方、金のかからない死に方、迷惑のかからない死に方はこの世に存在しないことがわかりました。

 最終的に辿り着いたのは、「死ぬならホルモン剤を食べて死にましょう」。わざと体に負担をかかるくらい必要以上な量で。万が一副作用で死んでも、メリットしかありません。

 

 そしたら意外と効果はありました。最初は顔と髪の毛の脂が減りました。そして胸が中から膨らみ始め、痛くなりました。顔つきもどこかわからないけど確実に変わっていました。筋肉も少しずつ落とし始めました。

 私、そのまま死ななくていいじゃないかと、少し喜んでいました。

 

 でも、ホルモンを摂ることで変わらない部分がもっとたくさんです。まずは骨格と声。どっちも男女を判断する際に決め手になるくらい大事です。顔つきや筋肉、ある程度は変わるけど、あくまで微調整のようなものです。ホンモノの女の子と比べたら、やはり全体的に「大きい」ことは隠しきれません。

 意識しざるをえないしゃべり方や仕草も。これは後天的ではありますが、本当に融け込もうとすると意外と関わってきます。男性らしい仕草を20年もしていたら、そう簡単に変わることはありません。もう体が染み付いちゃったからです。アメリカ生まれアメリカ育ちで英語しか喋らない日本人は、日本に来てもいきなり流暢にしゃべれないと一緒です。

 

 気づいたら、もう早い人は就活を準備し始めました。私はかなり焦りました。

 大学にはとても大きな学園祭があります。私が入っているサークルもたくさんのイベントに関わっていて忙しくなっています。「私と同じようにサークル活動で忙しい人はいっぱいいるからまだ大丈夫」と思って、しばらく就活の悩みを置いときました。と思いきゃ、サークルの仕事にも影響を及ぼすほどメンタルはやられています。

 なぜかというと、その間でもメイクや仕草など必死に女の子の真似をしていたのに、私のことを「女」として見てくれる人はいませんでした。

 もちろんこんな短い間で変わった方が無理なのは百も承知です。それでも、自分の努力が報われないような気がします。自分の歩んだ道は正しいのか、と懐疑的にもなります。私はまだ頑張りが足りないのか、あるいはすごく変な人にしか見えず気持ち悪くさせたのか、それなら周りはむしろ気遣いをしてくれたんじゃないですか・・・

 想像は無限に膨らみますが、ポジティブな考えは一つもなかったです。

 

 その時期、とうとう毎日ほぼ必ず泣くようになりました。

 授業中で泣きました。電車の中で泣きました。映画館で、泣くのは普通だけど、泣きました。エスカレーターを乗って涙が出ました。帰り道で泣きました。

 一番多いのは、やはりベッドで泣いてました。

 

 同じ悩みをずっと抱えていたのに、いままでそれほど泣いたことはありません。自分で原因を探したら、体が女に近づけば近づくほど、いままで自分に「男だから」という理由で我慢できた部分を我慢できなくなったからだと思いました。それが何年ぶりにがっつり泣くことにつながり、すっきりしました。それ以降はもう「泣けばすっきりできる」という図式ができたから、一時的な気持ち良さのために泣くことを手段として使い始めました。

 女の子でもこれくらい泣いたら廃人でしょう。

 結局頑張らないと、いつまで経っても望む生活にはつながりません。

 

 幸い、ごく最近の出来事ですが、私が闇ツイを連発したことに一人の女の子が反応してくれました。

 いままでの悩みをぶちこめました。とても申し訳ない気持ちでした。それでも、言えてよかったです。頑張りたいところに頑張る目標ができました。

 どんな女の子になりたいかというと、「生理が来る、妊娠できる」女はもう道がない、「美人な、モテる」女は表面的すぎる、「ごく普通な」女の子も定義によってさまざま。やはり、手を差し伸べてくれた彼女はその瞬間輝きました。私も人のためになれる人になりたいと思いました。「輝く」女になりたいと思いました。その方がきっと綺麗です。

 

 今はレディーズスーツをシューズ以外一式揃いました。就活サイトに登録し、先輩から就活の話を聞き、大学のキャリアセンターを軽く訪ねました。

 私がどのように人のためになるかと思うと、頑張って女として職をとることしかありません。もともと「留学生」というマイノリティ記号がついている上に、ジェンダーの悩みを死ぬほど抱えている人でも就活ができたら、これから就活を挑む人にきっと勇気を与えると信じたいです。

 (なぜシューズは買ってないというと・・・パンプスにまだ抵抗感があります。もし女の子に生まれてもおそらくボーイッシュで宝塚の男役のような人になるから、「フェミニン」のものになかなか手を出せません。誰かが「女だから買え」って背中を押してくれてほしいです)

 

 最後にタイトルコールをします。

 「ジェンダーはただの記号である」は一度聞いたことないでしょうか。

 きっと善意で言っていたでしょうが、そんなことを言えるのも恵まれる人の特権です。

 「男であろうか女であろうか関係ない」も違います。生活の面々すべてに関係しています。

 それをわかった上に、私にとって「ジェンダーはただの記号である」日が来るように目指しています。

 

 

 いつの間に3000字も行ってしまいしまた。卒業論文を急に楽と感じました。